2008年06月23日

6月23日、慰霊の日

今年も、陽炎が揺れる暑い夏の始まりと共に、

ざわざわとしたサトウキビ畑の向こうに広がる、青い空と海、

オキナワに生まれた私たちの身体に、その眼差しに、合わせる手の指先にまで

深く深く染み込んでいる6月23日の慰霊の日が、訪れました。

この日は、オキナワ色の島が、鎮魂に佇む日です。

6月23日、慰霊の日

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6月23日、慰霊の日

『沖縄戦』という言葉が、今でも歴史に残っています。

それは、太平洋戦争における、日本とアメリカの最後の戦い、

今も、オキナワの島々に残る、フェンスに囲まれた基地という足跡に

アメリカの大群が、この島に上陸し、日本軍と沖縄県民が、

血みどろの戦いを挑みそして、強いられた

その、紛れも無い事実を、本当なら、痛いほど感じ取る事が出来ます。

沖縄出身者を除く日本軍は、約7万5千人が戦死し、1万人前後が捕虜となりました。

アメリカ軍は、1万4千人が、戦死しました。

そして、沖縄の人々は、民間人、軍人、戦闘要員も含めて、約15万人が戦死しました。

この数に秘められた大きな事実から、私達は目をそむけてはいけません。

オキナワでの戦闘で、一家全滅の家庭が、無数にあるといいます。

私の父の実家の集落にも、そうした家族の、位牌だけを祭った瓦葺の家が、何件かありました。

お盆や清明際のときには、集落の人々が、その家々を訪れて、

花を飾り、お水と線香を供えていました。

6月23日、慰霊の日

子どもの頃に父に連れられて、その位牌だけが祭られた不思議な小さな家々を巡っていた頃は、

感じる事が出来なかった、“一家が、全滅する”という、

生きた証のつながりが断ち切られた淋しさを、

大人になり、夫婦として家庭を築き上げている今は、胸が痛くなるほど感じる事ができます。

テレビでは、元日本軍の兵士が、狭いガマの中で、無くなった人間の死体の山を積み上げ、

生き延びるために、その上を這い蹲りながらオキナワの戦場を、逃げ惑っていた

悪夢の日々の記憶を、「まるで、鼻の横に腐った肉をくっ付けたまま歩いている様だった、

どこに行っても、その臭いが着いて来るんだよ。」と、語っていました。

6月23日、慰霊の日

その惨状を、語る元軍人のお年よりは、涙の枯れはてた、とても疲れた顔をしていましたが、

何年たっても払拭できずに表れる、沖縄戦での屍に

『そうしなければ、生き残れなかったのだから・・・。』と、自分の行為を直視して語ることで、

本当の許しを請うことが出来ると、納得した潔さが、滲み出ていました。

戦争は、本当に酷いものです。

私たちオキナワの人々は、人が人を殺す行為を正当化する戦争が、

人間が、人間を信じる事、愛する事、

人間として存在する事の全てを、否定するという事を

生き残った命に、刻み込んで、未来を生きていると、私は信じています。

当時の国家のために捨石にされた“うらぎり”の事実は、今でも歪められ

昔、戦場となったオキナワの地には、殺される理由も、殺す理由も、

本当は、一欠けらも無かった人々が、互いに追い詰められ、狂わされて

心のやさしい人、穏やかな人、正義を持った人、愛を持った人を犠牲にしてゆきました。

6月23日、慰霊の日

『再び、戦争を起こさないで、永久に平和を守り抜いてほしい』という真実の願いは

オバーのしわがれた手のぬくもりに、オジーの固く結んだ口元に、

決して消えない種火となって、暑き南の島で、命を引き継ぎながら灯されています。

そして、オキナワという地名と共に『命どぅ宝』が、世界中に広がってゆくことを信じています。

戦後60年以上経った今、戦争の最中に集団自決の強要が、あったか否かの

裁判が起き、歴史を学ぶ教科書に、本土と沖縄での温度差が生じる事を、

いったい誰が、何のために望んでいるのでしょうか、

その事実こそ、本当に私達が、直視し、

ごまかしの無い答えを出さなければ、ならないのでは無いでしょうか。

6月23日、慰霊の日

戦争は、一度その禁を破れば、愚かな暴走に歯止めというものが、

本当に利かないということを、人類の歴史は、繰り返し、語っています。

だからこそ、戦争は、永遠に起こすものではないという、確信がもてるのです。

もう直ぐ、日が暮れて、明日がまた、始まります。

その繰り返す日常を、私は、決して、戦火に染めないと、

父と母から授かった、私の尊い命に誓います。

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この記事へのトラックバック
 いつもこの日のことをとりあげています。1945年6月23日に日本軍沖縄守備隊長
今日は63年目の沖縄戦野終戦記念日【けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト】at 2008年06月27日 08:38
この記事へのコメント
しっかりと読ませていただきました。
改めて戦争責任ということについて、深く想いを廻らせました。
23日は重苦しい雨雲が立ち込めていましたが、
久米島の風景と音楽にこころが向かいました。
あとで慰霊の日だと新聞記事を読んで思いました。
今日の日記でふれさせていただきますね。
ありがとう。
Posted by KAORU at 2008年06月24日 20:08
 11年前に健在であった義母と一緒に当時工事中であった平和の礎(いしじ)へ行きました。懐中電灯とお線香を持参し行きました。

 戦争中に行方不明になっていた義母の祖母の名前を見つけました。沖縄の民間の人たちの戦没者の名前は町内ごとになっていたので、見つけることができました。

 安倍内閣の時代に「歴史の改ざん」が多くされようとしました。でも多くの日本人はそれを許しませんでした。声を張り上げて反対した沖縄の人たちの思いは確かに伝わっています。

 高知の中学生も最近は高知ー沖縄直行便を利用して沖縄への修学旅行が多くなりました。知り合いの教師の悩みは戦争体験を今のこともたちにどう伝えるかです。かれなりに勉強して伝えたようです。

 これから体験者は少なくなります。正しく歴史を伝えなければ、安倍内閣のような連中が台頭しますと歴史のねつ造が行われてしまいます。

 どうか大きな声で真実を語り続けてください。そして真実の情報を発信してください。
Posted by けんちゃん at 2008年06月27日 08:47
KAORU さん、コメントありがとうございました。

久米島でも、自然文化センターで、平和学習や特別展示などを、高校生が主体となって行っていました。
毎年、参加している慰霊祭に、今年は、行き遅れてしまいましたが、心は何時も平和に向かっているので、ドンマイです。
一年に一回、この日だけでも、平和への感謝ですごしたいですね。
日記で、取り上げていただいて、ありがとうございます。
Posted by n-satou at 2008年06月28日 15:18
けんちゃん、コメントと、トラックバックをありがとうございます。

投げかけた平和への言葉に、温かく力強い想いを重ねて、気づき始めた多くの人々は、未来の地球を大切に生きていこうと、がんばっています。

そのがんばりには、自然からの様々な贈り物に彩られ、人の優しさに励まされ、苦しくとも、辛くとも、命の喜びを実感できる真実の喜びに溢れています。
けんちゃんの、心強い励ましに、いつも本当に感謝しています。

これからも、どうぞ、見守っていてください、ありがとうございました!
Posted by satou-n at 2008年06月28日 17:29
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