2015年05月19日
辺野古新基地にNO!
開会1時間前でしたが、もうほとんどのスタンド席は埋まり
高揚した中にもなぜか、穏やかな空気が、暑い夏の日差しとともに
大山公園の周りを取り囲んでいました。






以前、少年野球の応援で見つめていたスクリーンボードの時計の針が、
1時を刺そうとする頃、古典三線の音色が流れてきました、
心の声は、「ヤサ!(そうだ)、ディキトォーン(上等)」
私の沖縄の基地反対は、とっても、とっても、シンプルな願い、想いの凝縮です。
だから、この日の参加も呼びかけはせず、費用も、久米島ホタルの会としてではなく、
我が家の家計のやり繰りで捻出しています。

それは、沖縄で生まれ育ったことが、本当に大きな気づきに繋がっています。
私の父も母も、戦争の犠牲者でした。

7年前に亡くなった母は、従軍看護婦、父は、潜水艦で、敵地に向かう兵隊だったそうです。
父は、兵隊として課せられた罪悪感から、
いまでも、沖縄の神様に、祖先の魂に、助けを求めつづけています。
父も母も、戦争の多くを語りはしませんでしたが、
絶対平和の精神は、深い傷を負った父と母から、染み込むように受け継ぎ、
次の世代へも、引き継ぎたいと想っています。




そして、私の生まれ育ったコザの町は、ベトナム戦争に向かう米兵の
恐怖に狂わされた人間のおぞましさと、怒りと悲しさが入り混じる姿を教えてくれました。
「人が一番恐ろしい」ということを、多感な時期に知った時、
人をとことん恐ろしい人間に換えてしまう戦争を、私はどんな理由であれ断固否定します。


”非戦”という旗を掲げる姿。 それは、私の心に素直で、とてもシンプルな行動だからです。
私の斜め前で、壇上でメッセージを伝える主催者の方々や
辺野古の戦いを伝えてくださる方々の歴史的な瞬間を、一生懸命撮っている
大阪生まれの夫は、私とは違う生まれと育ちですが、
名護市長の稲嶺さんが、「皆さん、暑いですねぇ、なんで、こんなに暑いのに、
私たちはここに集まらなくちゃいけないのかねぇ、それは、ワジワジィーしてるからです!」
と言い放った時、また、翁長県知事が「うちなーんちゅ、うしぇーてぃならんどー」と口にした時の
日本中、世界中の様ざまな人たちが、民主的な差別のない、対等な待遇で接してもらいたいという
人として、当然の素直な叫びの根本的な部分を、しっかりと我が事と捉え、
多くの人と共有する心強い仲間として、私は感じています。


オリバーストーン監督や、鳥越俊太郎氏は、沖縄の反旗を掲げる姿に、
様ざまな国での人間社会を見据えてきた専門家としての視点から、
「本当に険しい戦い、怪物との戦い」と表現しています。
それでも、私は、私自身の未来を、子どもたちの未来を、
人が人を殺すことを、人が殺されることを、
正当化する未来にだけは、絶対に委ねたくありません!





↑できるだけ多くの人に読んでいただこうとエントリーしています。
クリックの応援、ありがとうございます!
高揚した中にもなぜか、穏やかな空気が、暑い夏の日差しとともに
大山公園の周りを取り囲んでいました。






以前、少年野球の応援で見つめていたスクリーンボードの時計の針が、
1時を刺そうとする頃、古典三線の音色が流れてきました、
心の声は、「ヤサ!(そうだ)、ディキトォーン(上等)」
私の沖縄の基地反対は、とっても、とっても、シンプルな願い、想いの凝縮です。
だから、この日の参加も呼びかけはせず、費用も、久米島ホタルの会としてではなく、
我が家の家計のやり繰りで捻出しています。


それは、沖縄で生まれ育ったことが、本当に大きな気づきに繋がっています。
私の父も母も、戦争の犠牲者でした。

7年前に亡くなった母は、従軍看護婦、父は、潜水艦で、敵地に向かう兵隊だったそうです。
父は、兵隊として課せられた罪悪感から、
いまでも、沖縄の神様に、祖先の魂に、助けを求めつづけています。
父も母も、戦争の多くを語りはしませんでしたが、
絶対平和の精神は、深い傷を負った父と母から、染み込むように受け継ぎ、
次の世代へも、引き継ぎたいと想っています。




そして、私の生まれ育ったコザの町は、ベトナム戦争に向かう米兵の
恐怖に狂わされた人間のおぞましさと、怒りと悲しさが入り混じる姿を教えてくれました。
「人が一番恐ろしい」ということを、多感な時期に知った時、
人をとことん恐ろしい人間に換えてしまう戦争を、私はどんな理由であれ断固否定します。


”非戦”という旗を掲げる姿。 それは、私の心に素直で、とてもシンプルな行動だからです。
私の斜め前で、壇上でメッセージを伝える主催者の方々や
辺野古の戦いを伝えてくださる方々の歴史的な瞬間を、一生懸命撮っている
大阪生まれの夫は、私とは違う生まれと育ちですが、
名護市長の稲嶺さんが、「皆さん、暑いですねぇ、なんで、こんなに暑いのに、
私たちはここに集まらなくちゃいけないのかねぇ、それは、ワジワジィーしてるからです!」
と言い放った時、また、翁長県知事が「うちなーんちゅ、うしぇーてぃならんどー」と口にした時の
日本中、世界中の様ざまな人たちが、民主的な差別のない、対等な待遇で接してもらいたいという
人として、当然の素直な叫びの根本的な部分を、しっかりと我が事と捉え、
多くの人と共有する心強い仲間として、私は感じています。


オリバーストーン監督や、鳥越俊太郎氏は、沖縄の反旗を掲げる姿に、
様ざまな国での人間社会を見据えてきた専門家としての視点から、
「本当に険しい戦い、怪物との戦い」と表現しています。
それでも、私は、私自身の未来を、子どもたちの未来を、
人が人を殺すことを、人が殺されることを、
正当化する未来にだけは、絶対に委ねたくありません!





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Posted by satou-n at 22:14│Comments(0)
│沖縄のこと世界のこと
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