2007年01月14日
餅つきと地球ロマン
去年よりも参加者が多いという、この日の餅つき大会。
もち米を杵で搗いて、お餅を作るという習わしの無かった沖縄では、
何時から普通に行われるようになったのかは、よく解りませんが、
戦後の高度成長期辺りに、広まり始めたのではないかと思います。
いまでも、沖縄のお餅の作り方は、モチ粉を水で溶いて、
月桃(ゲットウ、方言ではサンニン、ムーチーガーサー)の葉で包み、
蒸して作ります。この作り方は、偶然観た韓国の揚げモチの作り方にもよく似ていて
いまさらながら、沖縄の食文化は、中国や韓国の影響が色濃く残っていることに納得できます。
今まで、当たり前のように食べていて、
中国からの影響だと前々から聞いて知っていたつもりでも
他の国への関心を持つ前と、持ってからでは、伝統的なウチナー料理が
はるかな琉球の歴史の流れを汲んで、我が家の台所へと届けられていることへの
素晴らしさを、実感できる感動には、大きな違いがあります。
沖縄には、馴染みのない餅つき行事が、この島で定着していった背景には、
本土から移り住んだ人々の郷愁がもともとあって、楽しみを島の人々と分かち合いたいという
願いも込められていたのではないかと想いました。
民生員の方々や社協の職員、地元の方々が、手馴れた様子で、蒸したもち米を
臼の中に入れると、二本の杵を向かい合わせて、大人や子供たちは、
様子を見ながら搗きはじめます。
最初は、ぎこちなかった子供達も次第に調子が上がり、
突き上げたお餅をぜんざいとして、あるいは、きな粉やさとう醤油に絡めていただきました。
子供達は、口の周りをみれば、何を食べたか解るくらいに、何度もお代わりをしています。
年々、島の人口は、生まれも育ちも久米島人(くめしまんちゅ)だという人が少なくなり、
沖縄本島や他の離島、本土からの移住者が、少しずつですが増えてきています。しかし、
総体的には、離島では何処も同じ悩みの過疎へと急速に向かっていると聞きます。
ここに集う人々も、同じような環境に育ったことを背景に、自然に顔見知りだけで固定され、
あいまいだけど、交われない空気の違いが、なんとなく感じ取れます。
それでも、かわす笑顔の穏やかさには、お互いを尊重し合おうとする想いが見えます。
久米島では・・、本土では・・、といった自らの立場の生き方を強要し、
頑なに守り抜こうとすれば、必ず行き場を失い、守るべき世界は小さくなってゆきます。
大切なことを守り育てたいのなら、他を排除することではなく、もちろん媚びることでもない、
その違いを認めて尊重し、共に自立するための新たな過程から、
自らを繁栄させることができるのだという、同じ想いを持つことが、必要なのだと思います。
そして、それを刺激するように、新しい風は、何時の時代でも必ず吹き込んできます。
その一つの新しい風が、ハロウィーンのパレードで、商店街の人々を楽しませた、
英語講師トムさんによる、今日は野外ゲームの登場で、
沢山の子供や大人の私も巻き込んで、しがらみを消し去るように、
みんなで楽しむという共感の場を作り出してくれました。
その日の夜に観たTVの『地球ロマン』では、
トルコ・イスタンブールの繁栄の謎に迫っていました。
何より驚いたのは、その職人達の集う、肩と肩が触れあい移動するたびに、
他人まで動かさなければならない工房の狭い空間で、
イスラム教徒やキリスト教徒の職人達が、宗教の違いという枠を超えて、
それぞれの戒律を守り尊重しながら
共同で優れた工芸品を作り出し、仕事をこなす毎日の光景です。
イスラム教徒には、コーランの教えに一ヶ月の断食月があり、
その期間中は、朝から日没までは、飲んだり食べたりすることを戒められています。
戒律を守るイスラム教徒の直ぐ傍らで、
キリスト教徒の同僚が、チャイで、のどを潤していますが、
どちらにも、気まずい雰囲気が見られません。
プライベートな空間の確保を何よりも優先する私たちの社会に置き換えて想像するとき、
歴史によって育まれたトルコの人々の、他を尊重することで生み出される
許容する心の広さが、いかに私たち人間が生きてゆくために必要で、
価値のある考え方かということを、改めて理解することができます。
沖縄もこの久米島もかつては、交易で成り立ってきた島です。
トルコの人々に通じる『他を尊重する』という思想は、
沖縄の受け継がれてきた伝統食にも、他の文化を受け入れることで
成り立ってきたことに気づくことができました。
私が願い信じているこの島の素敵な一面は、ここにもあることを
この日の「餅つき大会」にも垣間見ることができ、満たされるように楽しい一日でした。
こうした、本来の人間としての自覚と自信が、
この島の自然環境への関わり方を、必ず変えてくれると、心から信じています。
信じるものが違っても、相手を尊重することができれば良い。
トルコ・イスタンブールからの言葉 (NHK地球ロマンより)
↑できるだけ多くの人に読んでいただこうとエントリーしています。
申し訳ないのですが、もし可能であれば3つともクリックして応援をお願いします!
緑を守ることに賛同して、「ワタシタチノミドリ」との総合リンクをしています。
ぜひ、多くの方のご協力をお願いいたします!
インターネット募金へのご協力お願いいたします。
もち米を杵で搗いて、お餅を作るという習わしの無かった沖縄では、
何時から普通に行われるようになったのかは、よく解りませんが、
戦後の高度成長期辺りに、広まり始めたのではないかと思います。
いまでも、沖縄のお餅の作り方は、モチ粉を水で溶いて、
月桃(ゲットウ、方言ではサンニン、ムーチーガーサー)の葉で包み、
蒸して作ります。この作り方は、偶然観た韓国の揚げモチの作り方にもよく似ていて
いまさらながら、沖縄の食文化は、中国や韓国の影響が色濃く残っていることに納得できます。
今まで、当たり前のように食べていて、
中国からの影響だと前々から聞いて知っていたつもりでも
他の国への関心を持つ前と、持ってからでは、伝統的なウチナー料理が
はるかな琉球の歴史の流れを汲んで、我が家の台所へと届けられていることへの
素晴らしさを、実感できる感動には、大きな違いがあります。
沖縄には、馴染みのない餅つき行事が、この島で定着していった背景には、
本土から移り住んだ人々の郷愁がもともとあって、楽しみを島の人々と分かち合いたいという
願いも込められていたのではないかと想いました。
民生員の方々や社協の職員、地元の方々が、手馴れた様子で、蒸したもち米を
臼の中に入れると、二本の杵を向かい合わせて、大人や子供たちは、
様子を見ながら搗きはじめます。
最初は、ぎこちなかった子供達も次第に調子が上がり、
突き上げたお餅をぜんざいとして、あるいは、きな粉やさとう醤油に絡めていただきました。
子供達は、口の周りをみれば、何を食べたか解るくらいに、何度もお代わりをしています。
年々、島の人口は、生まれも育ちも久米島人(くめしまんちゅ)だという人が少なくなり、
沖縄本島や他の離島、本土からの移住者が、少しずつですが増えてきています。しかし、
総体的には、離島では何処も同じ悩みの過疎へと急速に向かっていると聞きます。
ここに集う人々も、同じような環境に育ったことを背景に、自然に顔見知りだけで固定され、
あいまいだけど、交われない空気の違いが、なんとなく感じ取れます。
それでも、かわす笑顔の穏やかさには、お互いを尊重し合おうとする想いが見えます。
久米島では・・、本土では・・、といった自らの立場の生き方を強要し、
頑なに守り抜こうとすれば、必ず行き場を失い、守るべき世界は小さくなってゆきます。
大切なことを守り育てたいのなら、他を排除することではなく、もちろん媚びることでもない、
その違いを認めて尊重し、共に自立するための新たな過程から、
自らを繁栄させることができるのだという、同じ想いを持つことが、必要なのだと思います。
そして、それを刺激するように、新しい風は、何時の時代でも必ず吹き込んできます。
その一つの新しい風が、ハロウィーンのパレードで、商店街の人々を楽しませた、
英語講師トムさんによる、今日は野外ゲームの登場で、
沢山の子供や大人の私も巻き込んで、しがらみを消し去るように、
みんなで楽しむという共感の場を作り出してくれました。
その日の夜に観たTVの『地球ロマン』では、
トルコ・イスタンブールの繁栄の謎に迫っていました。
何より驚いたのは、その職人達の集う、肩と肩が触れあい移動するたびに、
他人まで動かさなければならない工房の狭い空間で、
イスラム教徒やキリスト教徒の職人達が、宗教の違いという枠を超えて、
それぞれの戒律を守り尊重しながら
共同で優れた工芸品を作り出し、仕事をこなす毎日の光景です。
イスラム教徒には、コーランの教えに一ヶ月の断食月があり、
その期間中は、朝から日没までは、飲んだり食べたりすることを戒められています。
戒律を守るイスラム教徒の直ぐ傍らで、
キリスト教徒の同僚が、チャイで、のどを潤していますが、
どちらにも、気まずい雰囲気が見られません。
プライベートな空間の確保を何よりも優先する私たちの社会に置き換えて想像するとき、
歴史によって育まれたトルコの人々の、他を尊重することで生み出される
許容する心の広さが、いかに私たち人間が生きてゆくために必要で、
価値のある考え方かということを、改めて理解することができます。
沖縄もこの久米島もかつては、交易で成り立ってきた島です。
トルコの人々に通じる『他を尊重する』という思想は、
沖縄の受け継がれてきた伝統食にも、他の文化を受け入れることで
成り立ってきたことに気づくことができました。
私が願い信じているこの島の素敵な一面は、ここにもあることを
この日の「餅つき大会」にも垣間見ることができ、満たされるように楽しい一日でした。
こうした、本来の人間としての自覚と自信が、
この島の自然環境への関わり方を、必ず変えてくれると、心から信じています。
信じるものが違っても、相手を尊重することができれば良い。
トルコ・イスタンブールからの言葉 (NHK地球ロマンより)
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Posted by satou-n at 16:46│Comments(0)
│沖縄のこと世界のこと
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