アカショウビンとウグイスの放鳥

satou-n

2008年06月03日 20:19

メジロの雛に引き続き、ホタル館には、連日、傷病鳥や

草刈作業中に出現したハブの引き取りの連絡が絶えません。

そうした毎日を、支えているのは、保護された生きもの達を、

元気に島の自然へと、返す事が出来る一瞬の、

例えようも無い至福の時を、この手に感じる事が出来るからなのかもしれません。

この日、放鳥したアカショウビンは、その後もホタル館周辺を

元気一杯に特徴的な声を張り上げながら、飛び回っています。





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このアカショウビンは、地元の女性が、自宅の庭の窓ガラスにぶつかって

動けなくなっていたところを、保護して、町役場に連絡したところ、

『久米島ホタル館』を紹介されたのだと言います。



アカショウビンの分布は、インドから朝鮮半島南部、

北方のものは、フィリピンなどに渡ります。

日本では、九州以北に亜種アカショウビン、南西諸島に亜種リュウキュウアカショウビンと

2亜種に分かれていて、夏鳥としてほぼ全国に渡来し、

久米島では、4月下旬から出現し始め10月ごろまで、見かける事ができます。

「キョロロロロ~ッ」と高音域の鳴き声と、直線的な飛び方が特徴的な、赤い鳥は、

南国的で濃厚な緑の森によく似合っています。



セミやトカゲ、カエルなどの森の小動物だけでなく、

川の魚やカニ類も大好きで、あまり人を怖がらず、愛嬌のある雰囲気から、

沖縄の妖怪として有名な「キジムナー」のモデルだという説もあるのです。

「アカショウビンを保護するのは、2回目で、以前は、こんな風に鳥を引き取って

面倒を見てくれることは無かったから、よかったさぁー。」

「前に保護したときは、どうしたんですか。」

「あの時は、直ぐ飛びよったから、大丈夫だったわけよぉ~。」

「保護されたときに、何か餌を与えたりしましたか?」

私が、記録シートに記入するために質問すると、少し、面倒くさそうに

「餌は、あげんけど、水は、飲ましたさぁ!」と、いう答えが返って来ました。



アカショウビンのくちばしは、かなり大きくて、直ぐに突っつくので、

「えっ、どうやって?」と、私は、思わず聞き返してしまいました。

すると、「なんでぇ、くちばしで突付くから、その隙間に水を流しいれたら、ゴクンと、飲むさぁ。」

その答えに「大丈夫でしたか、痛かったでしょう。」と、私が言うと、

ちょっと気難しげだった私よりも幾つか年配の女性の表情が、

見る間に優しくとけだして、「あっさぁ、好きだのに、大丈夫さぁ。」と、笑顔になります。

こんな時、私は、言いようも無く、こうした人の優しさに触れることが出来る

“人間に生まれてきてよかったぁ!”と、心の底から想えるのです。

生きものの命に触れることで、島の人々と共有しあえる、

緩やかで、懐かしい、この島の時間は、どんな時にも、私を元気に、そしてやる気にしてくれます。



アカショウビンを放鳥した翌日には、アイランドホテルのフロントから、

気さくな雰囲気の電話が入りました。

「すいませ~ん、今朝、緑色の鳥を、保護したので、お迎えを、お願いしま~す。」

「お迎え。」のコメントに、笑い出したくなるのをこらえて、様子を聞くと

ホテルの窓ガラスにぶつかって、動けなくなったところを保護していると言います。



数分後にホタル館に持ってこられた緑色の鳥は、リュウキュウウグイス、もしくは

ダイトウウグイスだと思っていたのですが、

下記のコメントにより、エゾセンニュウであることが解りました。

軽い脳震盪をおこしていただけのようで、直ぐに元気を取り戻し

ホタル館の芝生の広場に降り立った後、



森の木立の中に、勢いよく飛び込んでいきました。

3月の渡りの季節から、繁殖の季節の4,5月にかけて多くの野鳥が保護されます。

今年は、『鳥を保護したらホタル館へ、届ける。』という連携が、浸透してきたおかげで

無事に放鳥出来ることが多く、アカショウビンやウグイスの他にも、3月には

息子の同級生のご家族が届けてくれたツグミが、ホタル館を囲む芝生へと飛び立ちました。



どちらも、動けなくなっていた僅かな状態を、人間によって保護された事で

生きながらえる事が出来ました。

鳥が、建物の窓や壁にぶつかって、命を落とすことは、

本来、けっして自然な事ではありません。

ガラスの向こう側が透けているために、森のトンネルだと誤解して

通り向けようとしてぶつかる鳥のために、ガラスに猛禽鳥や他のシールを貼って

そうした事故から、生きもの達を守ってあげる事は、地球環境を様々な生きもの達と

共有するために、当然のマナーだと想うのです。


  久米島自然文化センターの庭に面した窓

そうして、こうした離島などの自然環境が比較的、身近な地域で、

人間の暮らしだけを中心に捉えることなく、

生きもの達の不幸を、省みる事ができるのは、この先の未来を、

より多くの人や生きもの達と、共有して生きる潜在意識を、育む事が出来るのです。

そして、都会では、到底得る事の出来ない、豊かな時間で、

人の心の温もりを教えてくれるのは、

何よりも生きもの達の生息する自然環境に勝るものはありません。



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