1980年代後半から、大国林道の奥間川周辺工事が始まりました。
森の中に響き渡る重機の轟音は凄まじく、ほんとうに恐かったそうです。
1970年代後半から1990年代まで続いた林道工事は、大宜味村の大保川から、
国頭村の与那川までの西側系列の多くの大小河川の上流域源流域の森の
急峻な地形を縦貫し、伐開され開設されたために生じたまっ赤な裸地面から、
崩落した大量の赤土が、大雨のたびに流出、河川下流側の河床を埋め尽くしていきました。
そのため、やんばるの川と海は、赤土汚染で大変な状況でした。
林道沿いの森は、その傷跡を残しながら今日に至っていますが、その行く末が心配です。
自然遺産候補地やんばるの最も有名な川となる比地川、
その下流で合流し隣接する大支流が奥間川です。水がとてもおいしいことでも有名です。
琉球大学ワンダーフォーゲルクラブの山小屋『我楽苦多:がらくた』のある場所は
80年前まで人が住み、クスノキ栽培(樟脳づくり)、炭焼き、藍づくりをしていた
里山であり、里の学校に通う際に、子どもたちがこの奥間川を下っていったのです。
人に優しい川、やんばるのふるさとの川の一つと言えます。自然遺産登録後も
きっとこの川は、貴重な固有種の生きものだけでなく、ここを訪れる子どもたちも
健やかに育ててくれることでしょう。
NPO法人奥間川流域保護基金は、沖縄人(うちなぁーんちゅ)の私が、
心から尊敬する沖縄人(うちなぁーんちゅ)の在るべき姿です。
沖縄の人達のチムグクルは「ヌチドゥ宝」から
「ジンドゥ宝」へと変わり、沖縄の自然も見る影もないほどに変貌しています。
世界でも類を見ないと言われる山原の貴重な自然は、
沖縄振興法に基づく高率補助による林道建設や森林伐採、
ダム建設や農地造成などによって、
再生不可能と言われるまでに破壊が進行しています。
ホントウアカヒゲ
山原の自然が危機的状況にある中で、2000年8月19日、19名の有志が集まって、
山原の自然破壊に少しでも歯止めをかけ、
この貴重な自然を身銭を切ってでも保護し、後世に継承しようと、
NPO(非営利特殊法人)「奥間川流域保護基金」を結成することになりました。
カラスヤンマ
結成にはこれまで自然保護運動に関わってきた個人が声をあげ、
ナショナルトラスト運動を実態あるものにするために志を固め、合流しました。
NPO法人奥間川流域保護基金発足にあたってより一部抜粋
オキナワマツモムシ オキナワオオミズスマシ
沖縄市で生まれ育った私でしたが、小学生の頃からずっと、
琉球大学生物学科の、年の離れた兄にくっついて、やんばるに通っていました。
当時、中部の沖縄市(旧コザ市)から北部のやんばるの森の奥までは、
車で5~6時間近くもかかりました。
往復は、車酔いの地獄でしたが、やんばるのしっとりとした瑞々しい空気を感じると
どんなに辛くても、再び、この場所に自分のこころとからだを、置いてあげたいと想うのでした。
濃い緑の彫りの深い木々の根っこに腰かけて、冷たくって透明な川の水に手を入れると
やんばるの森の中にすっと、溶けてしまうかのような一体感は、
言葉に出来ないほど心地良く、その何とも言えない幸福感に
私は、ずっと、感謝しながら生きています。
その、やんばるの森と川を実践的に守っておられる伊波先生からの、
ホタル館の館長への講師依頼は、私にとっても、本当に嬉しいものでした。
ヒラテテナガエビ モクズガニ サカモトサワガニ
オキナワオオミズスマシ モクズガニ
2日間の日程で行われた奥間川の観察会には、20名限定の親子観察会で、
みんな、とっても満足してくれたようでした。
伊波先生、今度は、久米島ホタレンジャーの子ども達と一緒に、
私たち沖縄人(うちなぁーんちゅ)の大切な奥間川の自然に会いに行きます。
どんなに暴れても、赤土で濁る事の無い、
昔の久米島と同じ、きれいな川を、子どもたちに見せてあげたいのです。
それが、未来の久米島の明確な目標になると、信じているのです。
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