2006年12月23日
ことばとこころ
優しい言葉、怖い言葉、悲しい言葉、面白い言葉。
琴線に響くことばに、私達のこころは、ゆり動かされることもあります。

それは、感性と呼ばれるとても大切な感覚ですが、
必要以上にこころを支配してしまうこともあります。
その取り返すことのできないほどの力を持ったことばを扱うとき
私達は、もっと、もっと慎重にならなければいけないのかもしれません。
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琴線に響くことばに、私達のこころは、ゆり動かされることもあります。

それは、感性と呼ばれるとても大切な感覚ですが、
必要以上にこころを支配してしまうこともあります。
その取り返すことのできないほどの力を持ったことばを扱うとき
私達は、もっと、もっと慎重にならなければいけないのかもしれません。
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←クリックして応援お願いします!ことばは、気持ちを伝えます。
普段、シャボン玉のように、次々と消えてゆくことばの軽さは、
文字とは違う気楽さで、いつでも私達の周りを取り巻いています。
時折、そのこころ無いことばに傷つくのは、風邪をひいて体調が弱るように、
自分自身のこころの免疫力が、低下しているときなのかも知れません。
健康な身体と同じように、健全なこころを保っているときには、
こころ無いことばに傷つくことは、あまりなく、あっても直ぐに癒えるような気がします。
それとは、違ってあきらかに、憎しみや怨み妬みなどを、
ぶつけるように投げつける、悪意のあることばには、強烈な攻撃力があります。
その悪意に満ちたことばに傷つきすぎて、怯えてしまった感性は、
あきらめのあまり、全てにこころを閉ざしてしまうのかもしれません。

けれども、その閉ざされたこころを開くのもまた、こころのこもったことばなのです。
ことばの持っている力には、こころと一体でなければ、効力のないことを、
そして、ことばにとらわれることで、こころを見失ってしまうことのほうが、
ずっと大きな落とし穴になっていることにも、気づいてほしいと思うのです。
分かり合おうという、歩み寄りの心を持たないことばには、
どれほどの強い力が込められていても、人の心を動かすことなどできません。
そして、どんなに優しいことばでも、こころがこもっていなければ
必ず矛盾した形となって出て来てしまうものです。
『・・・ことばと こころは くっついている。
ことばの おくの こころを
しることが たいせつだ。』
福音館書店 『にほんご』
ことばとこころより抜粋
私達は、毎日の日常を自分の身の回りだけの関係性だけで、成り立っていると思いがちです。
しかし、現実は、ほんの些細なことが大きな影響を及ぼすことになります。
この小さな南の島の現実である、幸せなひとときに身を置きながらも、
世界中で起きている出来事に、いつでも関心を持つことが、
実は、この小さな南の島で、生きる術になるということを
もっと多くの島人に、知ってもらいたいと思っています。

渡嘉敷島阿波連
現実を思い知ったとき、逃げ出したくなるほど、厳しいものですが
それを酷く、あきらめるほかないと感じるよりも、
これからを生きる世界中の子供達に残せる、この島の宝である自然環境を、
大切にできるように、知識と技術を精一杯、駆使して生きることが、その生きる姿勢が、
この先、地球規模で起きる過酷な試練に立ち向かうことのできる
こころを持った人間を、自らとともに、育むことになると思うのです。
毎年やってきた折込済みの自然災害であった台風も、
今では、想像を絶する規模になってしまいました。
津波や地震も、はるかな巨大規模で、何時どこに起きるのかも分かりません。
そのときに、私達人間を、悲しみや恐怖を乗り越えて、復興のために支えてくれるのは、
きっと、国境も年齢も性別も越えて、私達人間が培かってきた
温かなことばと、こころだと思うのです。
今の私を励ましてくれるのは、率直なことばを発するこころをもった沢山の子供達です。
そして、つたない私が、強く生きようと願うのも、世代や性別を超えて感じ取ることのできる
こころのこもったことばや、それが記された良質の文学や芸術や音楽が、私のクオリアを
支えてくれるからなのです。
現実には、ことばを発することのない多くの生きもの達からも、
その生死を受け止めながら、読み取りたいことばとこころがあります。
それは、地球に暮らす多くの生き物たちと共にあるべき、私達人間のその未来を
大人も子供もつながりの命の限り、決してあきらめてはいけないと、
切実に願い、励ましているように思えるのです。
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普段、シャボン玉のように、次々と消えてゆくことばの軽さは、
文字とは違う気楽さで、いつでも私達の周りを取り巻いています。
時折、そのこころ無いことばに傷つくのは、風邪をひいて体調が弱るように、
自分自身のこころの免疫力が、低下しているときなのかも知れません。
健康な身体と同じように、健全なこころを保っているときには、
こころ無いことばに傷つくことは、あまりなく、あっても直ぐに癒えるような気がします。
それとは、違ってあきらかに、憎しみや怨み妬みなどを、
ぶつけるように投げつける、悪意のあることばには、強烈な攻撃力があります。
その悪意に満ちたことばに傷つきすぎて、怯えてしまった感性は、
あきらめのあまり、全てにこころを閉ざしてしまうのかもしれません。

けれども、その閉ざされたこころを開くのもまた、こころのこもったことばなのです。
ことばの持っている力には、こころと一体でなければ、効力のないことを、
そして、ことばにとらわれることで、こころを見失ってしまうことのほうが、
ずっと大きな落とし穴になっていることにも、気づいてほしいと思うのです。
分かり合おうという、歩み寄りの心を持たないことばには、
どれほどの強い力が込められていても、人の心を動かすことなどできません。
そして、どんなに優しいことばでも、こころがこもっていなければ
必ず矛盾した形となって出て来てしまうものです。
『・・・ことばと こころは くっついている。
ことばの おくの こころを
しることが たいせつだ。』
福音館書店 『にほんご』
ことばとこころより抜粋
私達は、毎日の日常を自分の身の回りだけの関係性だけで、成り立っていると思いがちです。
しかし、現実は、ほんの些細なことが大きな影響を及ぼすことになります。
この小さな南の島の現実である、幸せなひとときに身を置きながらも、
世界中で起きている出来事に、いつでも関心を持つことが、
実は、この小さな南の島で、生きる術になるということを
もっと多くの島人に、知ってもらいたいと思っています。

渡嘉敷島阿波連
現実を思い知ったとき、逃げ出したくなるほど、厳しいものですが
それを酷く、あきらめるほかないと感じるよりも、
これからを生きる世界中の子供達に残せる、この島の宝である自然環境を、
大切にできるように、知識と技術を精一杯、駆使して生きることが、その生きる姿勢が、
この先、地球規模で起きる過酷な試練に立ち向かうことのできる
こころを持った人間を、自らとともに、育むことになると思うのです。
毎年やってきた折込済みの自然災害であった台風も、
今では、想像を絶する規模になってしまいました。
津波や地震も、はるかな巨大規模で、何時どこに起きるのかも分かりません。
そのときに、私達人間を、悲しみや恐怖を乗り越えて、復興のために支えてくれるのは、
きっと、国境も年齢も性別も越えて、私達人間が培かってきた
温かなことばと、こころだと思うのです。
今の私を励ましてくれるのは、率直なことばを発するこころをもった沢山の子供達です。
そして、つたない私が、強く生きようと願うのも、世代や性別を超えて感じ取ることのできる
こころのこもったことばや、それが記された良質の文学や芸術や音楽が、私のクオリアを
支えてくれるからなのです。
現実には、ことばを発することのない多くの生きもの達からも、
その生死を受け止めながら、読み取りたいことばとこころがあります。
それは、地球に暮らす多くの生き物たちと共にあるべき、私達人間のその未来を
大人も子供もつながりの命の限り、決してあきらめてはいけないと、
切実に願い、励ましているように思えるのです。
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